大平由美の日本酒が好き
【3】 『洗米・酒質・そしてエコロジー』 訪問先 株式会社土井酒造場  開運(静岡県)

 

4月9日(金) 晴れ
 日本が東西南北に細長く、各地域ごとに天候が異なるのは周知の事実で、今さら言うまでもないのですが、桜の開花が全国のどこよりも東京が早かったのは、今年がはじめてではないでしょうか。風に乗って吹雪のように花びらが舞い落ち、東京の灰色の道路が薄ピンクに染まってから、すでに3日ほど経っていたでしょうか。静岡では、もう花びらすら残っていないだろうとわたしは予想していました。でも、この日、掛川駅を下りて、思わず我が目を疑いました。そう、桜が、満開だったのです。
温暖な静岡では、県内各所に花の名所があります。春たけなわの4月〜5月上旬、伊豆高原小室山はツツジで覆われ、6月に入ると掛川郊外の加茂花菖蒲園には、50万株の花菖蒲が咲きそろいます。そして梅雨の頃、下田公園を訪れると、七色に変化するアジサイを楽しむことが出来ます。分けても今年は、浜名湖で花博が開催されており、わたしを含め、花好きな人間にとって、静岡は垂涎の的といえそうです。レンタカーの窓を開け、春風を浴びながら約15分、南に向かってドライブし、目指す酒蔵、土井酒造場に向かいます。桜のアーチを進んでいく道すがら、うぐいすの歌声が聞こえてきました。これぞ春を感じさせる朝です。"開運"との出会いに、まさに、ふさわしい朝です。

 蔵に着くと、当主にして四代目の土井 清幌社長が笑顔で迎えてくださいました。春眠、暁を覚えずと言われるこの季節、7時過ぎのこだま号に乗り込んだので、少々眠気があったのですが、ここ土井酒造場の朝は、なんと、毎日5時に始まるとのこと。しっかりしなければと気を引き締める間もなく、わたしの目に飛び込んできたのは、日本でたった2台しかないという洗米機が、怒涛のように酒米を洗う、勇壮な光景でした。毎分700リットルという激しい水流が、米のぬかを完全に取り除いていきます。時折り吹く風が桜の花びらを散らし、洗米中の水の中に入りそうになるのを、蔵人さんたちが間一髪で空中でキャッチ…そんななか、洗米を終えるタイミングを秒単位で計りながら、次々と作業を進めて行く彼らの手際のよさは、感動ものでした。

 "開運"では、麹(こうじ)米のすべてが山田錦だそうです。お酒の質を決める要素は、様々ありますが、良質な米麹が重要であることはよく知られています。麹室で温度調節をしながら、2日あまりかけて造られた出来立ての麹は、真珠をように白く光っています。小さいのに弾力があって、しかも柔らか。栗のような香りがして、思わず口に含むと、ほんのり甘みがありました。この麹がお米のデンプンを分解し、酵母が増えるのを助けていくのだそうです。神秘的な科学の世界です。

 そして、もろみです。蔵に来たからには、やっぱりタンクの中で変化し続けているもろみに、会いたくなります。泡立っているのは本醸造酒のもろみで3週間経過しているものです。もう一つのタンクの中は、明日、絞られるのを待っている、吟醸酒のもろみです。使用されている酵母によって、泡の立ち方がこうまで違うとは驚きでした。果物のような、ほんのりと甘い香りに、しばし時を忘れます。でも、蔵人さんたちに、時を忘れている余裕はありません。もろみがお酒になるまでの間は細心の注意が必要だからです。ここ、土井酒造の杜氏さんは、能登杜氏の波瀬正吉さん。この道36年、機械化が進み、コンピューターが導入され、造り方が一変しても、酒造りへの凛とした姿勢は一貫しています。土井社長と杜氏・波瀬正吉の絶妙なタッグが、生真面目で上質なお酒を造り上げていくのだと、蔵内に漂う空気からすら感じられ、真摯な気持ちにさせられます。
  

 土井酒造場が生真面目に取り組んでいるのは、酒造りだけではありません。蔵の奥にある排水処理場を見て、本当に驚きました。環境にここまで配慮している酒蔵が、他にあるでしょうか。酒蔵では、日に30トンの水を使うそうです。使用されたその水を、そのまま排水すると、川を汚すことになる…そこで、3年前に導入したのが、この施設です。汚水に空気を入れることで、バクテリアが酸化し発酵します。バブルを止めると
汚泥は下部にたまります。そこで、上部のきれいな水のみを排水します。残った汚泥は、酒造りを休んでいる夏の間に互いを食い合い、ほとんどがなくなってしまうため、次の酒造りがはじまるときは、処理場はきれいな状態に戻っているというわけです。
理数系に弱いわたしですが、イメージだけは浮かびました。川を、静岡を、日本を、地球を汚すまいという心は、"開運"のやさしい味と共通していると、感じ入りました。

〈閑話休題〉 
仕事と同じく、趣味も『酒』という、土井酒造場の四代目、土井清幌社長に7つの質問!

Q1 小さいとき、何になりたかったですか?
A  実は医者。ただ、親に言われたことはないけれど、酒蔵を継ぐことになると、幼い頃から分かっていました。(さすが!)

Q2 今、夢中になっているものは?
A  仕事。(これも、さすが!!)

Q3 好きな言葉は?
A  おいしい酒。

Q4 嫌いな言葉は?
A  マイナス。

Q5 ここでない場所に住むとしたら、どこに住みたいですか?
A  ここしか考えられない。

Q6 それは、なぜ?
A  静岡県の土地、文化、すべてが豊かで好きだから。

Q7 酒好きの人々に、一言、言葉をかけるとしたら?
A  「酒は百薬の長」

☆利き酒しました!
・ 開運 吟醸酒 (山田錦 精米50パーセント)
飲んだ瞬間、感じたのは強さ。でも次に感じたのはまろやかなイメージでした。矛盾しているようですが、豊かな味が強さを感じさせ、造りの丁寧さがまろやかさを運んでくるのではないかと、素人なりに推測しました。お料理に負けないお酒…でも、地元の魚介類が一番似合うのではないでしょうか。これからが旬のサクラエビを、おろしで和えるか、或いはカラッと揚げて味わいたいと思います。

・ 開運 純米吟醸 無濾過 (山田錦 精米50パーセント)
 開運は、香りが強いお酒ではないと思っていたのですが、この純米吟醸に関しては香りを充分に楽しませていただきました。自然がもたらす旨みを溢れるほど含んでいる、こんなお酒には、焼肉もイケるはずです。ガンガン食べて、すいすい飲める…ちょっと恐いお酒です。

・ 能登流 開運 波瀬正吉 (山田錦 精米 35パーセント) 
なんと表現したらいいのでしょう。水なのか、米なのか、麹なのか、技術なのか…互いが互いに影響を与え、しかも互いが互いを決して妨げない時にだけ出来上がる、ここしかないという到達点に向かって造られたお酒でした。さすがのわたしも、敢えて何も食さず、お酒だけで楽しみたいと謙虚な気持ちになりました。
  

☆足を伸ばしてみました!(その1)
 蔵の近く、土方(ひじかた)のお茶畑です。5月の中旬には、新茶を摘む作業がはじまるそうです。所々に立っているのは霜よけで、降霜注意報が出ると、プロペラが回って風を起こし、霜が降るのを防ぐのです。プロペラが日の光を浴びて時折りキラッと輝きます。ネオンサインが眩しいのとは明らかに異質の、心地よい眩しさでした。

 酒蔵から南に向かい、20分ほど車を走らせると、遠州灘に出ます。東に浜岡原発がうっすら霞んで見えます。この日は荒々しい波が押し寄せていましたが、ここが日本かと思うほど広くきれいなビーチが長く続いており、夏には多くの人が海水浴を楽しむそうです。

 掛川駅から歩いて5分ほど歩くと、掛川城の美しい姿と昔のままの城郭を見ることが出来ます。掛川城は、戦国時代、駿河守護大名、今川義忠が遠江支配拠点のために家臣に築かせたといわれています。江戸末期の大地震で大半が崩壊し、廃城となったのですが、掛川市民の熱意と努力で、平成6年、木造建築で復元されました。天守閣に登ると、20メートルとは思えないほど高く感じられます。二の丸御殿は江戸後期の書院造で、国の重要文化財に指定されています。
  

☆ お宿
 レジャーランドとして知られている"つま恋ホテル"に宿泊を決め、早めにチェック・インしました。桜のみならず、小手鞠、山吹、花桃、さつき、ショウジョウバカマなど、色とりどりの花々が、競うように咲き誇っています。テニス、水泳、乗馬、ショートゴルフ、トレッキング等、多種多様な遊び方がありましたが、まずはゴーカートへ。そう思ってカートコースに行くと、そこはレーサー専用のコースで(一般客用は別にあります)、プローのカートレーサーが、猛スピードで、しかも黙々と周回していました。カッコイイ!
  

 4月10日(土) 晴れ
☆ 足を伸ばしてみました!(その2)
 サッカーのワールドカップが日本で開催されたのは一昨年。日本中が熱狂に沸いた
あの夏、ここ、小笠山運動公園でも幾多のドラマがありました。中でも準々決勝のブラジル×イングランド戦は、記憶に新しいところです。スタジアムのロッカールームには、ベッカム、ロナウドなど、名だたる選手たちのサインが残されているそうです。間近で見上げると、スタジアムの巨大な威容に唖然とさせられます。周囲は自然遊歩道や緑豊かな森に囲まれており、2年前に植林された桜をはじめとした木々が、数年のうちに丈を伸ばし、見事に花をつけるのでしょう。今から楽しみです。
  
 
 愛野から掛川に戻る途中に、オシャレな建物を見つけました。化粧品メーカー・資生堂の歴史を紹介する資料館です。日本初の練り歯磨きや、戦時中に販売していた靴クリームなど、時代の移り変わりを感じさせてくれる展示物とともに、創業から現在までの資生堂商品の雑誌広告やポスター、TVコマーシャルなども展示されています。モニターで自由に見ることが出来るので、昔、気に入っていたCMを見つけては、懐かしいと叫んでしまいました。ちなみに入館は無料です。

 "開運"の仕込み水は、蔵から南へ2キロほど下った高天神城跡の湧き水です。軟水なのによく発酵し、濾過する必要もないのだそうです。まさに天然の神秘の水です。
その跡地に登って見ました。200メートル足らずの高さですが、日ごろの運動不足がたたって息が切れますが、本丸があったという頂上から見えた茶畑と家々は、湧き水と同様、心をやわらかにしてくれる穏やかな風景でした。
  

 静岡県には日本を代表する漁港がたくさんあります。新鮮な取れ立ての魚を味わうときに、日本酒は欠かすことができません。地元の人々はそれを良く分かっていらっしゃるのでしょう、宿泊先のつま恋のレストランにも、帰りに立ち寄った浜松駅ビル内の料理店にも、"開運"をはじめとした静岡のお酒が、しっかりとラインナップされていました。
土井社長に、「将来に向けて、酒造りについて何かお考えがありますか」と伺ったところ、即座に「それはお客様が決めることです」という返事がかえってきました。
酒を酌み酒を飲む…その行為はひとりひとりのものです。日々の暮らしの中で、食にあった酒を楽しみながら選んでいくのも、個々人の自由です。でも、わたしはきっと、これからも"開運"を飲んでいくと確信しています。"開運"を飲んでいると、気持ちが晴れやかになるのです。よく、酒の飲み方でその人の性格が分かるといいますが、お酒からも、造り手の人々の性格や、蔵のある土地柄が分かるのではないでしょうか。生真面目でひたむき、そして豊かで明るい…抜けるような青空、緑、そして色とりどりの花々に囲まれた自然の中で、酒と蔵と人々が、わたしの心に与えてくれたものは、忘れられない宝物となりました。

(左…土井酒造四代目・土井清幌社長 中…杜氏・波瀬正吉さん 右…筆者
)


 
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